クロノマット, ナビタイマー, ...

【ブライトリング】創業から今現代に至るまでの物語 Part1

皆様こんにちは。
いつもブライトリングブティック京都のブログをご覧いただき誠にありがとうございます。

本日より、ブライトリングの創業から今に至るまでの歴史をいくつか回を分けてご紹介していきます。

創業者レオン・ブライトリングの功績とブライトリングの始まり

レオン・ブライトリング

1880年代半ば、当時スイスは長引く不況の真っただ中でした。しかし、創業者であるレオン・ブライトリングは、経済的な困難、社会不安、将来への不透明感にもかかわらず、時間を計測・分割・管理できる計器を製作するというビジョンを忠実に追い求め、1884年にスイスのサンティミエのヌーヴ広場1番に最初の工房を開設しました。これが「ブライトリング」の始まりです。
彼は当時としては珍しいストップウォッチ付きの懐中時計、つまりクロノグラフを中心に製造を進めていく形となります。

彼の作る多機能懐中時計は、各地で評価され次第に市場に浸透していき、1892年に世界の時計製造の中心地であるラ・ショー・ド・フォンに活動の場を移し、翌年の1893年にブライトリングは8日間という驚異的なパワーリザーブのムーブメントの特許を取得しました。
また同年に、患者の脈拍を測るためのパルソグラフも時計に導入しています。脈拍の計測に最適な対数スケールを特徴としたこの発明は、瞬く間に医師の間で評判になりました。その3年後、ブライトリングは、当時としては前代未聞の5分の2秒の精度を持つクロノグラフを発表します。
1905年には自動車が輸送手段として普及しつつある中、レオン・ブライトリングは懐中時計用タキメーターの特許を取得しました。
このタキメーターを搭載した懐中時計は1906年にスイスで初めてスピード違反の切符を切るために警察官が使用しました。
このように、ブライトリングの土台となる機能やモデルを開発してきたレオン・ブライトリングでしたが1914年に54歳で亡くなります。
同年、彼の息子であるガストン・ブライトリングがその後を継ぐことになります。

2代目、ガストン・ブライトリングとクロノグラフ

ガストン・ブライトリング

レオン・ブライトリングの意思を引き継ぎ、2代目の経営者となったガストン・ブライトリングは就任の翌年1915年に時計の2時位置に独立したプッシュボタンを備えた世界初の腕時計型クロノグラフを製作しました。このプッシュボタンは「スタート・ストップ・リセット」を操作できるようになりました。
これにより、クロノグラフの操作性が向上しただけでなく、スタート操作とリューズ操作とを分離することで、誤操作を防ぐことが出来ました。
そして、今現在のクロノグラフの元となる形をブライトリングが最初に作ったことで、ブライトリングとクロノグラフの歴史が等しいと言っても過言ではありません。
1923年には、2時位置のプッシュボタンの機能に「スタート・ストップ」を残し、「リセット」をリューズに戻すことでさらなる機能性を高めることに成功しました。

3代目、ウィリー・ブライトリングの就任

ウィリー・ブライトリング

時計界に幾つもの偉業を残してきたガストン・ブライトリングですが、1927年に急逝します。その息子であるウィリー・ブライトリングは、当時まだ14才であったので会社の経営は一旦、外部のスタッフが行うことになります。
その間、ウィリー・ブライトリングは経営を学び、1932年にブライトリングの経営者となります。
彼が就任して以降、画期的な新製品を開発し、航空業界との関係を深めて時計ブランドとしての地位を築くことに成功します。

そんな彼の功績や新製品につきましては、次回のブログで記載させていただきます。

続きのPart2のリンクを添付致しましたので、是非ご覧くださいませ。
ここまでのご精読、誠にありがとうございました。